ブログ主であるわたくし、「かずにぃ」のプロフィールです。フツーのサラリーマンをしているおっさんです。年齢は30代後半。嫁さんと子供二人がおります。上の子はもうすぐ大学卒業。無事に就職が決まり、ホッとしているところです。

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プロフィールを書くにあたってこれまでのことを思い返してみると、自分の人生がいかにクルマに影響されてきたか、ヒシヒシと感じます。クルマという存在のおかげで、私の人生はとても豊かなものになりました。

子供時代 クルマに乗ると喋る父

私の生まれは埼玉県岩槻市です。現在はさいたま市に編入され、岩槻区という区になっています。

私の父は埼玉県宮代町の農家で生まれました。母は岩槻で生まれ育ち、父と母はお見合い結婚。父が婿養子に来る形で岩槻に家庭を持ち、私が生まれました。

父は寡黙な人です。怖いタイプではなかったですが、口数は少なく、いつも園芸の本を読んでいる人でした。父は農家から母の家に婿養子に来て、農家から出てしまったわけです。父は農家の文化に愛着を感じていたらしく、婿養子で岩槻に来てからすぐ、「子供たちが将来家を建てられるように」と言い訳をして土地を買い、そこを畑にしていました。
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農家の文化で私が好きだったのは、イナゴ採り。昔の農家の人は、田んぼでイナゴを捕まえて佃煮にして食べていたんです。でも、ウチには田んぼがない。どうしていたかというと、秋になると毎年、わざわざ江戸川までクルマで行って、イナゴを採っていました。

そのクルマの中で、父がぽつぽつと喋るのを聞くのが好きでした。

「この気温なら、イナゴは動きが鈍くなってるから、今日はたくさん採れるぞ」
「ウチに田んぼがあれば、いくらでも採れるんだがなあ」

そう喋る父は楽しそうで、私も心地良く話を聞いていたのを思い出します。そういう父の笑顔を見ることは、家の中ではあまりありませんでした。いつも真面目顔。クルマのおかげで、私は普段見ることができない父の一面を知ることができたんです。

大学時代 部活の仲間とドライブするのが楽しかった

大学時代は仙台で一人暮らし。部活はサイクリング部に入り、一年中自転車で走っていました。自分で言うのもなんですがかなり鍛えていて、片道200kmくらいまでは自転車の移動範囲。仙台から埼玉の実家に帰るのも自転車でした。

そして同時に、クルマに乗る人をバカにするようになりました。「俺はクルマなんか要らない。どこまででも自分の力で行ってやる!」と思いつつ、自転車に乗る日々。

その認識がガラっと変わったのが自転車のレースに出た時。山形県の鳥海山で自転車のレースがあり、そこに出ることになったんです。私は最初、そこにも自転車をこいで行こうと思っていました。仙台から片道200km弱です。本州を太平洋側から日本海側に横断する感じになります。当時の私にとっては、行けない距離ではありませんでした。

しかし、一緒にレースに出る仲間が言いました。「レースに出るなら勝ちたいだろ?自転車で行って体力を削るなんてやめとけよ。クルマに自転車を積んで行こうよ。」と。レースに出るのは4人で、自転車で走って行くと言ったのは私一人。

確かにレースに出るからには勝ちたい。私は悩みましたが、クルマで行くことに同意しました。

自分のポリシーに反してクルマに乗り込みました。すると、しばらく感じていなかった感覚を思い出しました。シートに座っているだけで、クルマはいくらでも進んでいくのです。しかも圧倒的に速い。クルマなんだから当然ですが、その便利さを改めて知りました。

そして、運転していた友人たちと車中で話をしました。この話が楽しかった。

「明日のレースもいつも通り先行逃げ切りすんのか?」
「こないだの飲み会の後、二次会は誰と飲んでたんだ?」
「就職はどんな業界考えてんの?」

どうということもない内容の話だったけど、クルマの中での会話は、キャンパス内での会話とも、飲み会とも違う、独特な雰囲気でした。騒音が少しある中、声を張り上げてする会話。でもイライラするわけでもなく、なんでかわからないけど、自然と誰かが話し始める。途切れても途切れても、だれからともなく話し始める。それが心地良かった。

それ以来、私はドライブが好きになりました。自分でクルマを持てるほどお金は持っていなかったので、レンタカーを借りて友人と一緒にドライブしていました。

嫁さんとの出会い クルマが嫁さんと私と子供を包み込んでくれた

大学在学中に、後で結婚することになる嫁さんと知り合いました。Yahooのチャットで。私は、さっき書いた通り大学在学中は仙台に住んでいました。当時は1999年。インターネットユーザーは東京の人ばかりだった頃です。

私は大学の研究室のパソコンで、「近くに住んでる人はいないかな?」と思いながらYahooの掲示板を見ていました。そこでたまたま目に入ったのが岩手に住んでいる嫁さん。まだ「ネットの出会いは危ない」とか、そういう概念すらなかった頃です。

ちょうどその時、私は「吉里吉里人」という小説を読み終わったところでした。吉里吉里というのは実在する地名で、岩手県大槌町に「吉里吉里駅」という駅があります。嫁さんは釜石市に住んでいて、近かったので案内してもらうことにしました。

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嫁さんはバツイチで、娘がいました。当時小学一年生。その時点で、嫁さんの年齢は29歳、私は23歳。女性と会うということでウキウキする気持ちが無かったと言ったらウソになるけど、だいぶ年上だし子持ちだし、いくらなんでもこの人と恋人になることはないだろうと思っていました。

でも、会ってみたら楽しかった。そしてその2ヶ月後に娘とも会ってみたら、やっぱり楽しかった。なので、私も本気でお付き合いしようと思いました。

嫁さんと娘と会う時は、毎回クルマに乗っていました。私は仙台駅から気仙沼の盛(さかり)駅まで電車で行き、そこまで嫁さんにクルマで迎えに来てもらって、嫁さんの家がある釜石まで行っていました。迎えに来るクルマには大抵、娘も乗っていました。私と娘はすぐに仲良くなり、嫁さんが嫉妬するほどでした。

今思えば、娘とすぐに仲良くなったのもクルマの威力が大きかったのかもしれないなと思います。クルマの中での会話は、なぜか楽しい。嫁さんが運転するクルマの中で、3人でいつも喋っていました。

娘は私のことを「かずにぃ」と呼んでいました。

「かずにぃは大学でなに勉強してるの?」
「かずにぃは自転車でどこまで走りに行ってるの?」
「かずにぃは、かーちゃんのこと好きなの?」

盛駅から釜石の嫁さんの家まで1時間ほどの道のりだったけど、いつもあっという間だった。3人で話すのが楽しくて、別に嫁さんの家なんか行かなくても、このまま帰るまでずっとドライブしててもいいな~、と感じたりしていました。

ちなみに、ネット上で私が「かずにぃ」と名乗っているのは、上記の通り、娘からそう呼ばれていたからです。結婚して正式に私が父親になり、呼び名は「かずにぃ」から「とーちゃん」になったので、実際にはもう「かずにぃ」とは呼ばれてはいません。でも、「かずにぃ」という呼び名は、私が娘に受け入れられた証明のように思えて、少し誇らしいのです。

子育て時代 クルマが赤ん坊のゆりかごになってくれた

嫁さんと結婚したのは、大学を卒業して就職し、2年経った頃。私は東京で就職したので、自宅を埼玉県草加市に決め、そこへ嫁さんと娘を呼び寄せました。

結婚する時、嫁さんはクルマを手放していました。買ってからだいぶ年数も経っていたし、埼玉は釜石よりは都会だから、クルマは要らないんじゃないかと思ったんですよね。

でも、実際に結婚して生活を始めてみると、やっぱりクルマが欲しいと感じることが多かったです。ちょっと離れたところにある大きな公園に行こうと思ったら、クルマなら10分くらいの距離のはずなのに、自転車だと30分。しかも、大きな荷物を持っていけない。私も嫁さんも、「やっぱりクルマは便利だ」と感じていました。

結婚してすぐに新しい子供を授かりました。嫁さんの大きなおなかを見ながら、「今もクルマ欲しいと思ってるんだから、赤ん坊が生まれたらなおさらだよね・・・」と話し、クルマを買うことを決めました。買ったのはダイハツ・ムーヴ。

そして無事、可愛い男の子が生まれました。私と嫁さんが喜んだのはもちろんのこと、娘も喜んでくれました。

クルマを買うという選択は大正解でした。赤ん坊は当然ながら泣きます。とにかくたくさん泣いて、泣きやまない。だから、どうしようもなくなった時には、赤ん坊だった息子をチャイルドシートに乗せて近所を15分ほどドライブしました。そうすると、クルマの程よい揺れが良いのか、不思議とすぐに寝てくれた。
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あと、クルマのおかげで自由に外出できました。もしクルマを持っていなかったら電車で移動することになるわけだけど、赤ん坊はとにかく泣くので、電車の中で泣かれると肩身が狭い思いをします。また、電車だと、駅から遠い場所には行きづらいです。でも、クルマがあるおかげでどこへでも行けました。クルマのおかげで、窮屈さを感じることなく、楽しい育児の毎日を過ごせました。

会社員になって悩んだ時代 苦しい時にはドライブした

私はサラリーマンになってから3年ほど経った頃、重要な役割を任せられるようになり、仕事でとても悩んだ時期がありました。いや、悩むというよりは心を病んだ感じですね。今風に言うならブラック企業でした。とにかく毎日会社に行きたくなくて、土日になっても、月曜日が怖くて心の休まる時がない状態。

そんな中、休みの日は何をしていたかというと、やっぱりドライブ。クルマで遠くまで行くと、辛い会社から離れられるような気がして、少し気持ちが落ち着きました。

この頃よく行ったのは、茨城の大洗とか、千葉の九十九里海岸とか。結局、時間になれば家に帰らなきゃいけないし、月曜日が来れば会社に行かなきゃならないんだけど、クルマに乗っている時だけはいくらかラクになれた。
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暗い顔をして運転している私を見て、ついてきてくれてた嫁さんと娘は何を思っていたのかはよくわからない。でも、自宅の中に居るよりはマシだったんだろうな。毎回、一緒にドライブに行ってくれていました。

中古車屋さんになろうかと悩んだ時代 結局、ならなかったけど・・・

そんな感じで毎日悩みながら会社に行ってたんですけど、人生変えるには仕事変えないとダメかなと思って、中古車屋さんのフランチャイズの説明会に行ったことがあります。池袋サンシャインシティで開かれていたので、埼玉から1時間ほどかけて行ってきました。
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会場に入ると、いろんな業種のブースが立ち並んでいました。ラーメン屋さんとか、学習塾とか。その中に中古車屋さんのブースもありました。私は「クルマ好き」って感じの人間ではなかったけど、クルマに関しては楽しい思い出や助けられた思い出がたくさんあったので、なんとなくそのブースで話を聞きました。そこで聞いたことで印象深かったのは、「日本人は中古車への評価が低すぎる!」「だから、これから日本の中古車は伸びる!」って話。

それは確かに本当で、日本では中古車の販売台数は新車の販売台数の0.4倍しかありません。それに対して、アメリカでは3倍、イギリスでは3.5倍もあります。ものすごい差。
出典リンク:国土交通省 トレーサビリティー・サービスの展開に必要な取組みについて

日本では中古車があまり売れていない。つまり、日本人は中古車が嫌いなんですね。そのせいで、日本の中古車は海外にガンガン輸出されています。たまにテレビとかで聞きますよね、「海外では日本から売られた中古車がたくさん走ってる」って。

逆に言えば、日本で売られてる中古車は割安ってことです。日本では中古車は嫌われてる。だから安い。ということは、日本では新車を買うより中古車を買った方がお得なのだ。

そのフランチャイズの人は、私を中古車屋さんにしようと思って熱弁してたんだろうけど、私はどうも商売する方の立場がピンときていなくて、「じゃあ、ウチの次のクルマは中古車を買おう」としか思わなかった。やっぱりサラリーマンの立場から独立起業って壁があるよね。結局、中古車屋さんにはならなかったです。

私も多少のプライドがあって、心のどこかで、システムエンジニアとして負けっぱなしじゃ悔しいと思ったのかもしれない。転職して別のホワイトな会社に、それまでと同じシステムエンジニアとして入社して、今に至ります。

クルマで過ごす濃密な時間

そんで、割と平穏に生きられているのが現在の私でございます。下の子はこの春に小学校を卒業。子育ては一段落です。会社員としての仕事もそこそこ落ち着いています。

今の私は、クルマを楽しんでいると思います。キャンプに行ったり、日帰りドライブに行ったり、もちろん近所の買い物なんかも。仕事に悩んでいた時期は、暗い気持ちを消すために運転してたけど、今は日々を楽しく生きるためにクルマを使ってます。

私はさっき書いた通り、大学時代はサイクリング部に所属していました。宿泊は基本的に野宿。だからキャンプは得意なんです。キャンプに行くクルマの中で、知識を息子に教えるのが楽しくて。例えば、火の起こし方とか。
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私が小学生の頃は、父親が私にイナゴの採り方を教えていました。今は私が息子に、キャンプ場に行くクルマの中で、火の起こし方を教えている。教えていること自体は大した話ではないけど、しみじみと楽しい時間です。そういう濃密な時間を過ごせる空間って、クルマ以外に私は知りません。

だから私は、クルマが好きです。毎日乗るわけではないし、走行距離も少ないけど、クルマを手放したいと思ったことはありません。これからも、気が向くたびにクルマを楽しんでいこうと思っています。

なぜこのブログを書いているか

そんな私が、なんでこのブログを書いているのか。その理由は大きく言って3つです。

一つ目は、さっき書いた「日本の中古車は必要以上に不人気なのでお買い得」ってこと。なので、それを言わずにはいられないんです。まだまだ余裕で動くじゃんってクルマでも不人気で安く買える。もちろん価値観は人それぞれだけど、中古車を最初から全く見ていない人があまりにも多すぎると思う。みんな損してる。だから、中古車って選択肢を示すことで、多くの人にメリットを与えられると感じているんです。

二つ目は、クルマで過ごす濃密な時間を、少しでも多くの人に知って欲しいということ。このページに書いた通り、少なくとも私の人生は、クルマのおかげで豊かになった。

最近じゃ使い古された感さえある、「若者のクルマ離れ」って言葉。これも価値観は人それぞれだけど、最初からクルマに触れずに人生過ごすのはもったいないと心底感じます。もちろん、クルマを持たないという選択もアリだとは思います。でも、その楽しさを全く知らないのは人生損してる。だから少しでも、クルマという空間を味わったことのない人を減らしたいと思っています。

三つ目は、クルマ業界のドラマを調べて色々書くのが楽しい、ということ。クルマって特殊な商品で、明確に数字で表されるスペックと、数字にならない商品力とが混然としているんですよね。例えば、燃費なんかは数字で明示され、比較しやすい情報です。実際、各社がしのぎを削って競ってる。各社が頑張って競争してるのを見ているのが楽しい。

だけど一方で、クルマの良さはそういうスペック情報だけで決まるわけではないんですよ。最近だとスズキ・ハスラーが大ヒットしましたけど、ハスラーはスペック情報で言うとそんなにスゴいクルマではなかった。でも大ヒットした。そこには、数字には表れない、ハスラーにしかない良さがあった。片方では数字を追って、もう片方では数字にならない何かを追っている。その混然とした中に生まれるドラマみたいなのが楽しいんです。

そんな感じで、これからも情熱を持って書いていこうと思ってます!


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